諫早湾調整池の真実
「またしても農水省か」それが率直な感想だ。先日の口蹄疫問題でも農水省の対応には大いに不満があったが、この諫早湾問題も事の発端は農水省にある。あれは元々は農水省内の800人の干拓技官を食わせるための事業であったらしい。そのため「防災」を目的に唱いながら建設省ではなく農水省主導で事業が進められた。(環境庁は当初から防災効果がない事やアオコ発生を明確に指摘している。)その干拓は予定より規模が縮小されたが、その後の有明海の赤潮や有毒アオコ問題で今では一省庁の問題では済まなくなっている。私が憤りを感じるのは被害を受けている漁業関係者も農水省が面倒を見るべき対象であることだ。身内の仕事を重んじた事により、本来庇護対象である民間人に多大な迷惑をかける官庁など、どこに存在意義があるというのだ!ましてや自分の非を認めない子供のような態度を取る役人や政治家など論外だ。
私は湾が閉じられてすぐ、まだ真っ赤なシチメンソウが生い茂っている頃の諫早湾に行った事がある。当時も貝やカニの死骸が散乱していたが、正直ここまで事態が悪化するとは思わなかった。本に書かれている実態はそれほどヒドい。私も自分の不明を恥じたい。湾が閉められたのは10年以上前の事だが、湿地や干潟の重要性が叫ばれる今日だからこそ皆で再考すべき問題では無いだろうか?
この本は諫早湾問題の過去の経緯と観測結果の推移について、できる限り平易に、わかりやすく書かれた物である。科学的データの記述もあるが細心の注意をはらって解説されているので、少しの集中力があれば読み通せると思う。だからまずは読んでほしい。少なくとも川ごと湾をせき止めて干拓することがどれほどまわりの生態系に悪影響を与えるかは感じてもらえると思う。干拓の全てを悪と言うつもりは無いが、やり方を間違えればトンでもないことになることを、この本は示唆している。
蛇足:農水省の干拓技官は「講和条約にオランダを参加させる」という政治的な思惑により、オランダに技術料を支払って八郎潟干拓時に育成された。ちなみに八郎潟干拓は戦前から計画されており、諫早湾のように後付で理由をでっち上げたわけではなく、こちらは成功を納めている。(多少の水質問題等は抱えているが、農民自ら低農薬に取組み、農業や環境保護としても成功している。また漁業関係者との調停も済ませている)...以上、蛇足はweb上での調査に拠る。
諌早湾ムツゴロウ騒動記―二十世紀最大の環境破壊
諫早の自然を守る会の会長だった著者が、経験した事実がつづられている。
農水省幹部から、「会を解散してくれたらあなたに干拓地を無償で提供します」とか、(解散が無理なら、)「反対を唱えなければ、干拓資料館の資料代として数千万円あげます」とか、提案されたことや、
農水省がさまざまな調査データを改ざんしていた事実、「ムツゴロウさん死んでください」とネットに書き込んでいた事実、など。
ギロチンの裏に何があったのか、知ることができる貴重な記録であると思う。
リンダ リンダ
時代感覚的にはすっとぼけた若者がロックをしていて、その生き方もロックでなければならないというこれまた時代遅れの感覚でもって、仲間を取り返すために諫早湾(作品ではアザハヤ湾)のギロチンを爆砕しようと決意する。
それを口走っているだけだったら良かったのだが、元新左翼党派幹部のテロ実行隊員と思しきおじさんに聞かれ、革命的警戒心(笑)の欠如を咎められつつ、仲間規定されて爆弾作りに走ってしまう。仲間も巻き込まれる。さらにさらに、現役警察官も「本物のロッカーだ!」ということで、巻き込まれる。爆弾技術は、コンサートの仕掛けだと信じて。
場面場面では適切にブルーハーツの歌をちりばめ、走るような、場面転回をしながら話は進む、軽快な青春小説である。その中に、「闘争-挫折」ばかりの戦後のドンツキの思想(難しいものじゃなく、大衆の実感レベルの)状況を反映させる。闘っても無駄、権力に対抗するのは無駄、そんなことを夢想しても人生を棒に振るだけだ。ギロチンは下がったままじゃないか。漁師の訴えは世間に聞かれず、漁師は漁を捨て、堤防作りの会社を興す。
若い日、滅茶苦茶な世の中の実相を知ると、それを破壊したくなる。次に、その実相がそれなりに根拠もあり、それを破壊することの「危険」を知ると、臆病になる。だが、さらに実相を知ると、どうにかちったあマシに変えられるじゃないか、急には無理にしても、と感じられる。著者の思いもそうではないかと感じた。
この小説では警察官メンバーが「証拠隠滅マン」となって、破滅を防いだ。その終り方の是非はあろう。一つには、大人の態度と見ることも出来る。一方、破滅は防いだが、何も変わらなかったとも。確かにこの方法は問題解決の先送りに過ぎない。しかし、それでも意図し続けることが大切なのだ。