旧ユーゴの悲劇を浮き彫りにする書おすすめ度
★★★★☆
1999年3月27日、神戸ユニバーシアード記念競技場。
ストイコビッチのアシストで名古屋グランパスが得点。
ストイコビッチはユニフォームをたくし上げて咆哮した。
Tシャツには、「NATO STOP STRIKES」が浮かんでいた。
日頃、「スポーツと政治は別だから」と語っていた彼が、、、
ストイコビッチたち、セルビアのJリーガー達は、国際情勢を非常にしっかり
認識している。セルビアの大本営発表だけを信じているわけでは決してない。
西側先進国の情報もちゃんと入手している。インターネットの情報、現地への
電話連絡等々、しかも、彼等はミロシェビッチを支持していない。
彼らの情熱には感心した。
しかも、私は知らなかったのだが、ユーゴ空爆直前、セルビア側は譲歩しよう
としていた。空爆回避のために合意文書に調印する予定だった。そこで、アメリ
カは、アネックスBという付属文書を提出し、交渉を決裂させた。
その内容は、「コソボのみならず、ユーゴ全域でNATO軍が展開・訓練がで
き、なおかつ治外法権を認めよ」というものだった。
NATO軍への課税や犯罪訴追をも免除しろというこの条項は、ユーゴの占領
地化を意味するもので、こんな条件を飲めるはずがない。
そういうことまで、彼等はちゃんと把握していたとは驚きでした。
私はそんな情報は知りませんでしたし、私の読んだ5、6冊の本にも書かれて
いませんでした。
NATOの空爆は、コソボのアルバニア系住民を保護するためだという。
しかし、難民を受け入れているモンテネグロまで空爆した。
コソボでセルビア民兵による虐殺が起きたのは空爆開始後のことだ。
虐殺を止める為の空爆というのはまやかしだ。
コソボのアルバニア系住民地区に、劣化ウラン弾を大量に打ち込んだ。
その後、劣化ウラン弾を除去することは一切やっていない。
コソボのアルバニア系住民の生命を守る為ではなかったのか?
空爆後にコソボで殺されたセルビア人の数は、空爆中のアルバニア人の死者の
数を既に超えている。KFOR(コソボ平和維持軍)がいるにもかかわらずに。
そして、コソボ情勢は沈静化したそうである、、、
現在、コソボでは、ベトナム戦争時のダナン基地に匹敵する巨大な軍事基地が
建設されている。
「アメリカが何が何でも空爆したかったのは、世界制覇の戦略構築のためだっ
たのではないか」と。
パンチェボのバルカン最大規模の化学コンビナートが空爆された。同行した
慶応大学の藤田教授は、「世界最大規模の環境破壊だ」と指摘した。
ピクシーのすべて
おすすめ度 ★★★★☆
分厚いです。ピクシーの引退に関して多くの関連本が出ましたが、そのなかでもかなりの秀逸な作品です。編集がヤングジャンプだけあって、ピクシーの歴史をわかりやすく振り返ったマンガも載せています。あと、ピクシーのことを他の選手達にインタヴューした記事が載っていますが、その選手達が多岐にわたり、過去にグランパスに在籍したデュリックスの声も載せており、懐かしさがこみ上げてきます。写真なども多く掲載されており、よりピクシーの事を知ることが出来ます。