最後の授業――心をみる人たちへ
『帰ってきたヨッパライ』『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』等で歌のヒットを飛ばし、医学博士として精神分析医の道を進んだ著者が、九州大学退官時に行った講義をまとめたもの。
精神分析という分野での言葉の重要性。セルフモニタリングの時代。二者間内交流。人のはけ口になるには私たちのはけ口も必要。常識的な葛藤や不安は他人に共感するときの材料にもなる。
この人の創った歌を口ずさんだことのある人にとっては、「マスコミやテレビは見えない人々との交流」であるため自分のフィールドではなかったということを説明している点も印象に残るだろう。昔話を用いた心理の説明では、無意識やタブー、日本人の心理のはかなさの美学、西洋における愛の奇跡のあらすじを支えるキリスト教の思想について自説を展開する。最後は、フロイトについて、芸術家であり科学者であったという解説で締めている。
35歳バースデー・コンサート
1971年から1981年の10年間は北山修にとっても日本にとっても大きな10年だったのでしょう。
25歳のときの若さとエネルギーの息遣いが聞こえてくるライブとは趣が異なっています。
小田和正の「花のように」だけでも聞く価値あり。その後歌詞が変わってしまった「さよなら青春」も貴重。
再CD化を心より期待する
共視論 (講談社選書メチエ)
「共に視る」。北山修は、論文はともかく、一般書籍に自分の患者のケースをあげることを嫌い、古事記、浮世絵などから日本人の心を探る、という斬新な研究方法を試みた。この本では編者であるが、だからこそ、たくさんの「共に視る」論が読めることは大変ありがたいことである。
母と子は初め、母乳やミルクをもらうときみつめあっている。やがて、二人で「共に」きれいなお花やワンちゃんや猫ちゃんを「視て」「かわいいねー」などと情緒的につながりつつ、共視する。普通に育てられた幼児は、母と永遠に一緒にいるものだと思っている。何があってもべったりくっついて生きてゆくのだと、生きてゆくという意味も知らず、感じている。
しかし、別れの日は来る。自立である。母の手を、母の心を借りなくても世界を一人で視ることが出来るようになる。そして本当の自立で、母を愛しつつ別れてゆく。別居に限らない。同居していても「別々の人間」として歩み出す。
北山修は後年、1971年に書いた「あの素晴しい愛をもう一度」の詞に、書いた当時は気づかなかった共視論を見いだす。この唄の中で「ふたり」は決して見つめ合わない。同じものを共に視ている。そしていつまでもと誓い合ったのに、心と心が通わなくなる。それは嫌いになったのではなく、別々の人間になったのである。
まさに母子である。
「いなくなるから取り入れられる」。母は子とべったりの季節を過ぎて、初めて子供の心の中に定住する。頻繁に起きる悲しい母子の事件は、その母の母、さらにその母と子がどんな心一つの時期を過ごしたのか、過ごせなかったのか、きちんと調べなければ同じことが繰り返されるであろう。
テーブルを挟んで話すと緊張するが、カウンターに並んで話すとほぐれて話しやすい、という経験はないだろうか。これも「共視」である。大切な話をしたいときは、テーブルではなく、カウンターで話してみてはどうだろう。二人共に同じ方向を視ながら。
この本は、精神科医、日本人を看る医師・北山修入門に最も適した本のうちの一冊である。
日本人の〈原罪〉 (講談社現代新書)
古事記上巻に書かれている現存最古の話などを中心にした神話が、現代まで続く日本人のメンタリティーに大きく影響しているのではないかと、「北山修」「橋本雅之」の両氏が専門分野を担当して解き明かしてゆく構成が読みやすかった。
フロイトやユング精神分析学までもツールとして、古事記などに書かれている神話の時代から現代まで脈々と続く日本人の深層メンタリティーを検証してゆくことが本書を読んで新鮮に感じた。
北山修氏が、有名な「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだったことは知っていたが、ベスト・ヒットの”帰ってきた酔っ払い”の詩の内容まで引用して語る部分が面白い。
両氏が、環境汚染などに対して、人が生きてゆく限り「原罪」意識を持っていなければければならないと提言していることが、本書の最大のテーマなのかも知れない。
いのちの歌(初回限定盤)(DVD付)
たまたまCDショップでこの曲を見つけて買ったが・・・正直ここまで莱奈佳奈が歌がうまいとは思っていなかった。声もきれいだし、2人のハーモニーも息がぴったりだやっぱり双子だなあって改めて思った。歌詞にもビビっときたし、シジミジルバージョンの莱奈ちゃんのギターもすばらしい。ライブではだんだんが決まってから始めたと言っていたが、といていそうとは思えないほどうまかった。この曲は久しぶりに完全にハマってしまった曲である。星の数は何個かだが・・・何個つけても足りない。