僕のNHK物語
面白いし、NHKの教養系ドキュメンタリーの歴史を、冨沢さん流に、淡々と、かつ意外なほど詳細に書かれた、人物記的テレビ論だ。「四天王寺界隈」や「荻窪風土記」といった名作の裏側を知れるのもありがたい。師匠の工藤敏樹さん、そのまた先生の小倉一郎さんの系譜や、稀代のカメラマン・葛城哲郎さんのことも、トミさんならではの、洒脱な筆致で、描かれていて飽きさせない。それにしても、テレビで生きることの最大の尊さとは、やっぱり管理職になることではなく、とぼとぼと現場を歩くディレクターであるべきことを、改めて感じさせてくれる本だ。出るべくして出た、待望の本。師匠の工藤さんを送るくだりは、やはり悲しくなる・・・
山椒魚 (新潮文庫)
何の予備知識もなく読んでみました。
印象に残った作品の感想を書いてみます。
「山椒魚」
成長しすぎて岩穴から出られなくなってしまった主人公の山椒魚。
彼は岩穴から外の世界をのぞきます。
一匹では自由に動けない小魚の群れを見て
「不自由な連中だ」と感じますが、
彼自身が岩穴から出られない不自由な立場にあることを
棚に上げているのが哀れを誘います。
狭い世界に閉じこもり、孤独に過ごすことの寂しさや
やるせなさがよく表れています。
「屋根の上のサワン」
小学校高学年向けの国語の問題集にも載る作品。
主人公の男は傷ついた雁を助けてサワンと名づけます。
男の世話の甲斐あってサワンは元気になりますが、
遠くを飛ぶ雁の群れを見て夜な夜な鳴くようになります。
男のサワンに対する愛情と、動物の習性に沿って行動する
サワンの関係に注目。子供に読ませたい作品です。
下部温泉の天然鉱泉水・ミネラルウォーター信玄10L
妻が、ワラビのあく抜きでついうっかり両手に薬品火傷を負ってしまいました。かなり重症で両手がはれ上がり感染症の心配もありました。この下部温泉は傷に良いということで有名でしたが確かに
その効果は抜群で(飲用でなく、浸漬で使いました)医者にかかることなく今はほぼ完治しました。若し、医者にかかっていたなら、両手とも包帯ぐるぐる巻き、且つステロイド剤多用で今ほどに良くはなっていなかったと思います。(医者に行ってはいないのでわかりませんが・・・)でも、結果的に下部温泉を選択して良かったと思っています。良い水です。信玄の隠し湯、確かです!
喜劇 駅前旅館 [DVD]
これは喜劇なんでしょうか?その後のクレージー映画とは違いもはやこの笑いは私の世代にすら直接的な反応を引き起こすものではありません。展開される笑いのほとんどはいくつかの直接的な時代性を帯びた部分(ロカビリー)をのぞいてはむしろ歴史的な説明を必要とするものかもしれません。ここで展開される笑いのペースと核は、関西人ではない私たちにすらセピア色に染められています。舞台は1958年の東京の上野の旅館です。その旅館におとづれる泊り客(修学旅行生や女工)そして旅館の番頭や従業員、経営者をめぐる人間関係が作品のテーマです。時代はいまだに戦前(つまり高度成長前)の影を引きずりながらも、新しい世界に入りつつあるようです。番頭や「客引き」なる伝統的な機能も旅行の制度化と旅行代理店を通しての大量の予約の興隆と共に終わりを迎えています。時代の移り変わりと共に失われていく象徴としての役を森繁が演じています。最後は田舎(昇仙峡?)への逃避で作品は終わりを告げます。このような形で時代に適応した都会の旅館もその後にその役割を終えるわけですが、もはやその時にはこのような作品は作られることなく、ただのマーケティング上の題材以上の意味しか持たなかったわけです。馬車が一本道の農道を防いでしまい、後ろからじゅつつなぎの車のクラクションに追い立てられる最後のシーンは象徴的です。
猫 (中公文庫)
夏目 漱石に内田 百間、梶井 基次郎、現代ならば町田 康や村上 春樹。
猫についての小説や文章を書いた作家は数多く、そしてそれらの作品は、
いずれもが例外なく優れた叙情性を持っている。まるで、猫について
表現することこそ、人間に言葉が与えられた理由ででもあるかのように。
なぜ物書きは猫に惹かれるのだろうか。おそらくは猫という生き物が
あの丸くて柔らかい一つの体の中にあまりにも多くの要素を秘めているからであり、
それを気まぐれに見せてはまた隠し、また見せする様子が、作家たちの筆を
誘うからなのだろうと思う。可愛さ。美しさ。生物としての脆さと強さ。
ときに赤ん坊のように幼いかと思えば、仙人のごとく達観しているように
見えることもある。獣としての荒々しさや卑しさが、人間など足元にも
及ばないような高貴さとくるくる入れ替わる。猫の持つそうした
いくつもの側面を言葉でとらえようと、作家たちは猫と全霊で向き合い、
やがて筆を取る。結果として、猫を書いた作品に傑作が並ぶことになる。
この『猫』にも、作家をはじめとする創作を生業にする人々が
それぞれのやり方で猫と付き合うことで生まれた珠玉の文章が連なっている。
微笑ましいもの、何か考えさせられるもの、いずれも適度に肩の力の抜けた、
洒脱な作品ばかりだ。確かに、猫と向き合うのに思想や信条はいらない。
猫の前では人は裸だ。それもまた、「猫もの」に傑作が多い理由かもしれない。