小説・コント55号 いくよ、二郎さん はいな、欽ちゃん
思えば、コント55号は相当に斬新だった。漫才でも喜劇でもない「コント」という新しいお笑いの様式もさることながら、テレビ画面の枠をはみ出すパワフルな狂気と、「野球拳」に代表される確信犯的な俗っぽさが、理屈抜きで子供心を鷲づかみにした(そのぶん世の親たちには大いに顰蹙を買って嫌われたが…)。
やがてブームは沈静化し、欽ちゃんは一時の低迷を経て「欽どん」「欽どこ」など、家族で安心して楽しめるお笑いへと芸風を昇華。二郎さんは「夜明けの刑事」など演技の世界へ活躍の場を移したが、一定世代以上の人にとって、永遠に二人は「コント55号」の欽ちゃんと二郎さんである。そんな二人が浅草時代は互いに反目していたこと、二人が世に出るために事務所社長の人一倍の熱意と努力があったこと等、本書を読んで初めて知った逸話も多い。会話や描写が妙に青臭かったりもするが、それも「昭和」の空気感なのかなあ〜と思わなくもない。
コント55号のなんでそうなるの?総集編1 [VHS]
私が生まれて初めてお笑いコンビがコントをするというのを見たのは萩本欽一・坂上二郎のコント55号だった。
私が生まれた頃にはコント55号は解散しており、父が撮ったビデオで55号のコントを見た。
それがコント55号で本当によかったと思っている。
どこぞのつまらないお笑いコンビのコントを見て「なんだお笑いってこんなものなのか・・・」と感じてお笑いを嫌いにならなかったのだから。
55号のコントはセリフのほとんどがアドリブになっている。
例えばお寺のコントだとするとそこの寺は貧乏で最後に坂上二郎がボケて萩本欽一が突っ込んで終わり。それ以外は萩本欽一と坂上二郎のアドリブでお客を笑わせていくのだ。
信じられないと思わないだろうか?
某テレビ番組で10分間アドリブでコントをするというのがあるが、それを見た後55号のコントを見ると、どれだけ55号のコントが面白いかというのが分かる。
基本的に55号のコントスタイルは萩本欽一が坂上二郎のやる事に指摘を入れていくという事だ。
硬い言い方なので柔らかく言うと、とぼけた二郎さんに欽ちゃんがイジってイジってイジまくるということだ。
その笑いがドン!ドン!!ドン!!!と畳み掛けてくるので私は腹がよじれるほど笑ってしまうのである。
しかもアドリブだからといって二人は考えて、そして演じているのだ。
フリートークとは全然違う、コント55号のスタイルで私たちは伝説の笑いを見た。
55号のコントを見ないで死んでいく人たちはとても不運に思ってしまうのは私だけなのだろうか・・・
コント55号のなんでそうなるの? DVD-BOX
欽ちゃんのコントは基本的に繰り返し。同じことを何度も二郎さんにやらせて、そのリアクションで笑わすというもの。のちに、テレビの欽どんでも素人相手に同じ手法で成功した。二郎さんはとても器用な人で、歌も演技もそつなくこなせるが、単独ではどこかわざとらしく見える部分がある。欽ちゃんはそんな二郎さんを追いつめながら、思いもかけない表現を引っ張りだしてくる。
本作もその「繰り返し笑い」がしつこく展開されるのだが、どのコントもよくできていて面白い。というより、よく出来上がった瞬間をフリーズした状態といえる。同じネタを何度もやって行くとこの面白さは出ないように思う。当時のコント55号の絶妙な呼吸が、舞台をそのまま中継するような形でおさめられているところがいい。客も大人の男ばかり、なかには酔っぱらいまでいるという雰囲気が、これまたストリップの幕間のコントの空気をかもしだしている。
コントはどれも理屈ぬきに面白い。が、DVDにするにあたって、もうちょっと工夫はできなかったのだろうか。VHSのビデオをそのまま素材にしました、みたいな作りはちょっと安易な気がするので1点減点。2枚組2000円くらいで出せばいいのに。
「お笑いタレント化」社会 (祥伝社新書110)
ブームが過熱するお笑い育成の現場やテレビに必要な笑いのセンスとは何かを書いた。本書を読んで、著者はお笑い養成学校を運営した経験も交え、お笑い育成の様子を描いているが、2年後には志願者の大半が消えてしまう、完全実力主義のお笑い道の厳しさに感嘆した。1年で授業は終わるのだが、そこからプロとして一本立ちしていくまで、吉本興業にはながーいステップがある。学校卒業すぐブレイクしたオリエンタルラジオがいかに劇的な出世だったのか、本書を読むと良く分かる。お笑いは生活の糧とする職業じゃなく生き方。誰でもいつでも入れるしやめても構わないと著者は語る。
反面、お笑い文化論はちょっと違和感があった。40歳代以下でお笑い番組をよく見る人なら、芸人がいかにすごいかわかるだろうと思う。そこも暗に分かっていて、「クダラネー」と笑っているんじゃないだろうか。芸人が「すごい努力してるんです」と言ったって、面白くなければ笑えない。本書は芸人が「シロート」と違っていかに「すごい」かと持ち上げるが、どこかで「クダラネー」「低俗」と思えるから、お笑い芸人って面白いんじゃないかと思うんじゃないか、尊敬される「お笑い芸人」って果たして面白いかと個人的には感じる。
いくよ、二郎さん はいな、欽ちゃん―小説・コント55号
コント55号の全盛期を知る人にとっては、何とも魅力的な本だと思います。天才肌をもって謡われた欽ちゃんこと萩本欽一さんは、想像以上の下積みを経験されていました。小劇場からTVへ雪崩を打って演芸人が進出してゆく中で、TVの方法論によらず、逆に自分たちの笑いでTVそのものの笑いを変えてゆく様が、重苦しい葛藤とともに描かれています。ナイーブな笑いの革命者、反逆者と言えます。コント55号の演出は欽ちゃんに支えられていたのは確かですが、欽ちゃんのアドリブに強烈に対抗できる人が二郎さんだったということも良く分かります。やはり不世出のコンビですね。コント55号の笑いは、この二人だけのもので、ジャンルに括られない凄さがあります。この本は、二人の出会いの頃から、売れっ子になるまでの時代が描かれていて、笑いの原点が偲ばれます。二人の伝記に近いでしょうか。コントの凄さについては今ひとつ十分とは思えませんでしたが、こればかりは実物を見ないと無理でしょうか。ちょっと後半端折っている感じもしますが、55号のファンの方には十分お勧めできます。