知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで
欧米における知に関わる歴史的分析を叙述した研究は多数あるが、近代を創出した活字文化を中心に印刷革命を中心に「知」の保存と伝承の技術の意義を叙述したもの。欧米の大学の起源といわれるアレキサンドリア図書館の活動を再現し、文献の収集方法から資料組織法(書誌記述や索引)まで、その精緻な知の再生産過程を踏まえた図書館機能が、決して現代のそれに劣るものではないことを詳細に分析している。
他の知の保存機関として、修道院、大学、実験室やインターネット環境を挙げ、知を社会階層的には多層的分散して維持した歴史の厚みを語りながら、知をめぐる歴史は繰り返すことを証明したとも云える。言い換えれば、知を巡る学の論理は不易な構造を内在させる自己参照を歴史的に証明したのである。
最後に第4章文字の共和国という訳語は、欧米史では従来「文芸の共和国」と訳されてきた。letterには、ご承知のとおり書簡の意味もあるが、文字を転じて文学や文芸の意味でもある。訳がかなり荒いと思われる。p.217のジョンズ・ホプキンスは、大学の設置を命じた創設者で、ホプキンスは大学の開学を見ずに没している。訳がまずいのは、「一人」ではなく、「一つ」ならば辻褄が合う。
最終への2章は知を維持する制度としての専門領域(disciplie)と実験室(laboratory)を扱い、近代の知が文理を循環することを証明した。それは宗教的審問の手法で行なわれたセミナーであり、これが転じて文献学の本文校訂や古文書の真贋判定手法として発達し、そのセミナー・ノートの手法がラボの実験ノートして発達して行く。これによって近代科学の客観性が保証され、確立してゆくのである。佐々木力が「科学革命の歴史構造」で証明している。