藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)
「恩讐の彼方に」「蘭学事始」「俊寛」など良く知られた作品の他
にも珠玉の短編が並ぶ。
戦場で受けた恩義に苦悩し続ける侍の「恩を返す話」。
役者が芸を極めるあまり人妻の心を切り裂いてしまう「藤十郎の恋」。
冥土の永劫の平穏の恐ろしさを暗示する「極楽」。
人間の因果、苦悩、本能を簡潔な筆致で描き切り、どの作品も硬質な
読後感を与えてくれる。
ブックオフに持ち込まず本棚に置いておきたい一冊。
銀界
最近読んだ「ECMの真実」にこの作品のことが載っていた。発売当時この作品を聴いたマンフレート・アイヒャーが菊地雅章のECM録音を望んだというのだ。しかも、ポール・ブレイとのデュオでという企画であったらしい。菊地の契約などの諸事情によりそれは叶うことはなかった。(だが、今後菊地の作品がECMから発売される予定で、近年の自宅録音のソロピアノ作品ということ。)そういわれれば、ECM的な世界観の作品ですね、この「銀界」は。ECMがメジャーになる前ですから、ECM的な音を目指したということはないでしょう。マンフレート・アイヒャーと菊地雅章の美的感覚の一致といいましょうか。この時代の菊地の路線は、コンボではエレクトリック・マイルスやマッコイ・タイナーのグループの影響を受けた作品があり、一方ソロやトリオなどでは現在の活動に通ずる、それこそECM的な幽玄なピアノを聴かせていた。ゲイリー・ピーコックや富樫雅彦との作品はECMに通ずる作品であった。あれらの作品にあったひんやりとした空間を感じさせる独特の世界は、日本人では菊地雅章しか持っていないだろう。尺八ジャズなんていうとそれだけで退いてしまう人もいるかもしれないが、初期ECMの作品が好きな人なら気に入る作品だと思います。
関東大震災 (文春文庫)
東日本大震災において2万人もの尊い犠牲が出たようである。
しかるに、関東大震災ではなんと約20万人もの犠牲が出ていることを、皆さんはご存知なのであろうか?
本書は歴史小説の形を取って、その未曾有の大災害を今に伝える貴重な作品だ。
驚くべきは意外に知られてない、その被害の状況だ。
伊東に12'mの津波が押し寄せたであるとか、東海道線の根府川駅は駅舎と列車もろとも40mの崖下に転落したであるとか、当初避難場所とされた本所被服廠ではなんと約3万人が焼死する悲劇が起きたであるとか。
あと興味深いのは、地域別の建物損壊戸数が一覧になっているところだ。近隣であっても壊滅しているところと、ほとんど被害が出てないところがある。これは地質の良さ悪さと関連しているのかわからないが、何らか示唆するところはあるだろう。
首都圏にお住まいの方は、一読の価値はあると思われる。
ドキュメンタリー 頭脳警察 [DVD]
あの伝説的ロック・バンド『頭脳警察』。ロックが若者の反抗、社会批判を、過激で暴力的な表現で代弁していた昭和40年代半ば、PANTAとトシにより結成された彼らは、赤軍三部作といわれる「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃を取れ」の、赤軍派に触発された曲を演奏し、他の曲もラジカルな批評性の元に、日本語歌詞により独自の世界を作り上げ、ロックの中でも突出したバンドとして、圧倒的に支持されていた。彼らの演奏は世界に先駆けたパンク・ロックだったのだ。昭和40年代の終焉と共に解散したが、節目節目に再結成と解散(自爆)を繰り返している。
その『頭脳警察』のドキュメンタリー映画である。3部構成で、合計5時間15分もの大作だ。2006年から2008年まで、PANTAのバンド活動から頭脳警察の再始動に至るまで、彼らに密着して撮影されたものだ。先回りして言ってしまおう。この映画は頭脳警察が存在する時代のドキュメンタリーであり、再始動・頭脳警察のプロモーション・ビデオであり、頭脳警察・再始動のメイキング・ビデオである。そしてその背景には「戦争」という各々の時代の刻印が、はっきりと浮き彫りにされているのだ。
1部は結成から解散までの軌跡を、映像やインタビューを交えて纏めている。
2部は従軍看護婦として南方に派遣されていたPANTAの母親の軌跡。そして重信房子を介してのパレスチナ問題への関わりが中心となっている。優に二本分のドキュメンタリー映画が作れてしまう内容だ。
3部は各々のソロ活動から頭脳警察再始動に向かってゆくPANTAとトシ、そして白熱の京大西部講堂での再始動ライブへ。
ベトナム戦争から、赤軍派の世界革命戦争へのシンパシー。大東亜戦争当時、病院船氷川丸での母親の軌跡を、船舶運航記録によって、戦前戦後を通底する時間軸に己が存在する事を、PANTAが確認する辺りは圧巻である。そして中東戦争とパレスチナ。現在のイランなどに対する「対テロ戦争」という名の帝国主義戦争。なんとオイラと同じPANTAの世代は「戦争」の世代ではないか。
頭脳警察はその政治性によって語られる事が多い。しかし、本来はその存在や演奏自身がより政治的な意味合いを持っていたのだ。その事を自覚することにより、PANTAは「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」と言うのだ。重信を通してパレスチナ問題に関わることを、落とし前を付ける、と言うのも、かつて赤軍三部作を歌い、赤軍派にシンパシーを感じた自分自身に対することなのだろうと思うのだ。