ペンで描く―スケッチから細密描写まで
私が本書を手にしたのは、中学生の時でした。今、私の手元にあるのは、1986年に発行された第16刷の本です。
漫画が上手になりたくて、これを長年、バイブルのようにして何度も読み返したり、手本にしながら地味な線描の練習を、何度もしたのを覚えています。
お陰さまで、どうにか自分なりに、ペン(Gペンやスクールペン、丸ペン等)と黒インク(もしくは墨汁)を使って、「そうか、ここまで表現できるのか」という事を理解できました。
レベルの高い作例が多数紹介されており、「ただ、漫画を描きたいんだ、デフォルメした絵さえ描ければそれで良い」という方にはひょっとしたら向いていないかも……というご意見もありそうですが、
本書に紹介されている全ての作例は、どれも、斜線やクロスハッチ(漫画でいう所の「カケアミ」)といった「原理としては単純」なテクニックの「組み合わせ」で描かれています。
その事に注意すれば、「こんな高度な作例、私には無理」ではなく、「そうか、この絵だって、全ては一本の線から構成されているんだ」という風に、良きお手本として「観察」する事も出来るのではないでしょうか。
私は元々、ペンで丁寧に書き込まれた絵柄の漫画家さんの作品が好きでしたので、水木しげる先生や、つげ義春先生・花輪和一先生・丸尾末広先生・大友克洋先生といった方々の作品を、
「成程、こんな風に描いてあるのか」と、隅から隅まで「ガン見」しながら読むようになりました。そのきっかけとなったのは、この『ペンで描く』でしたので、本書からは「絵の見方」も教わった事になります。
確かに、絵は、急には上手にはなれません。
ただ、目標は、どんなに高くても良いと思っています。
私が本書から教わったのは、本書に掲載されているどんな複雑な作品も、単なる一本の線・「白」と「黒」のコントラスト・クロスハッチ等の単純な技法、これらをいかに「複雑に組み合わせるか」といった、
「基本」から成り立っている、という事でした。
この「基本」は、地味だとか退屈だとかよく言われますが、そんな事は無いですよ。ちょっとずつ、思い描いた理想に自分が近付いてゆく過程は、とてもワクワクするものです。
今、私は、アナログのペンをデジタルに持ち替えて、タブレットでかつての「ペンの苦労」を経験しています。ですが、ネットの某掲示板で、
「デジタルのペンにつまづいた時、ペンの線描を基礎からもう一度やり直した。そうしたら、アナログのペンも、前よりずっと良い線が描けるようになった」
という書き込みをたまたま見つけ、以来もう一度、本書を読み返し、タブレットで線描の練習をしています。こんな感じで、本書は、四半世紀たった今でも私の大切なお手本なのです。
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸
1957〜58年にかけて、月刊誌『ハーパーズ』で、物理学者ラルフ=ラープが書いた第五福竜丸のルポの挿絵として使われたシャーンの絵に、詩人であるビナートが短文をつけた本書、第五福竜丸以降2000回以上も繰り返されている核実験と、新たな小型核兵器の開発を許さない意識を大事にするためにも、静かな絵本ブームの今、童話のような定番絵本だけではなく、このような忘れてはならない出来事を記した絵本も、子どもと共に読まれ、親子で話すきっかけにしたり、新木場の東京都立第五福竜丸展示館に実物を見に行き、忘れる事なく、語り継いでいかねばならない。
絵自体は、暗い印象のものが多いものの、ショッキングな絵はないので、子どもでもトラウマになるような本ではない。
奇跡の人 [DVD]
ヘレンは生後間もなく
見る事
聞く事
喋る事
が出来なくなってしまいます。
ヘレンに教育どころかしつけすら与える事が出来なかった家族は
家庭教師をボストンに要請しました。
派遣されたのがアン・サリバン。
アンはヘレンに躾を施し、言葉を教えます。
それは決して甘えを許さない厳しいものでした。
甘えが学ぶ事から遠ざけていると、アンは理解していたのです。
その激しいやり取りがこの映画の見所です。
こういっては語弊があるかもしれませんが
息をつかせアクションを見ているような気分になります。
一瞬たりとも目が離せないのです。
そしてその世界に見入られて
画面の中がとても演技には思えないくらい
迫真迫るものがありました。
そして心が開く瞬間。
それはヘレンが言葉の存在を理解した瞬間。
もう涙が止まりませんでした。
目も見えず耳も聞こえない人間が
言葉の意味を知った時の世界の開き方は尋常ではないと思うのです。
ものには名前があり
言葉というものが存在し
たとえしゃべることが出来なくても
言葉を理解すれば
他の人とコミュニケーションがとれる。。。
そのことを一瞬のうちに理解出来た瞬間です。
ヘレンの心では
真っ暗な闇に、くらむほどのまばゆい光が差した事でしょう。
健常者ならすべてが当たり前に受け止められることが
障害者にとってはそうではなく
そこに辿り着くまでの道がなんて困難なことか。
そして気づかされるのです。
見える事、聞こえる事、喋れる事の尊さを。
同時に
躾と教育の素晴らしさを。
人が成長する姿を。
この映画が撮影される前には
同じタイトルの演劇が上演されて
同じキャストでこの映画がつくられました。
上質な演技はそこから培われたもの疑いません。
この映画は教えてくれます。
決して諦める事無く
信じて、掛けて情熱と努力を費やせば
暗闇に光が指す、と。
それは時に奇跡と呼ばれます。
余談ですが
奇跡の人とはヘレンではなく
アン・サリバンのことを指すそうです。
自分も間違って理解していました。
キネマ旬報 2010年 11/15号 [雑誌]
今は映画館が無い離島に住んでいることから
この手の雑誌は全く買わなくなっていましたが、
年末に公開される実写版ヤマトの特集記事が載っているとのことで
数十年振りに本誌を購入しました。
最初にここで表紙を見たときは、随分シュールなデザインだなぁと思いましたが
届いた現品を見たら、ちゃんとカラーで木村拓哉さんのお顔が載ってました。
所属事務所の方針なのでしょうけど、何かと面倒臭いですね。
直接ヤマトに関連する記事は18ページ載っています。
木村さんや山崎貴監督へのインタビューが掲載されており
木村さんと監督が本作への参加をする経緯などが記されており、
また本編のネタバレ的な記述も有り興味深く読むことができました。
また、本作はアニメの宇宙戦艦ヤマトを
現代的解釈で実写化したものであるということを理解しました。
俺たちに明日はない [DVD]
原題はボニー&クライド。大恐慌時代、実在した男女ギャングの壮絶な生きざまを描いた傑作である。ウエートレスのボニーは、クルマを盗もうとしたムショ帰りのクライドに偶然声をかけ、退屈な生活から抜け出そうとする。
最初、クライドが冗談半分でやったのは、ちんけな店の強盗。クルマであわてて逃げ出す。
序盤の「音楽」や「描写」はいかにもコミカル。
一度金をせしめた二人はもう引き返せない。簡単に金が手に入るという理由もあったが、ボニーが「スリル」に夢中になったのも大きい。とうとう銀行強盗で「へま」をやり、クルマに飛び乗った追手を撃ち殺し、正真正銘の「お尋ね者」になる。もう後には引き返せない。
後は強盗と逃避行の繰り返し。安住の場所などない。テキサスレンジャーを捉えて「記念撮影」をするなど、完全な英雄気取りである。(この行為が後々命取りになる!)
仲間の父親の「司法取引」で裏切られたことも知らず、ふたりはテキサスレンジャーが待ち伏せする場所へクルマを走らせる。悲惨な結末が待っていることも知らずに・・・
彼らのやったことは重罪である。しかし、心から彼らを憎めない。本当の「悪」には思えないからか。