日本合唱曲全集「雨」多田武彦作品集
何度も聴いても、歌っても感動する曲であり、多田武彦氏の大フアンの一人です。何故、こんなに感動を覚える作品が生まれるのでしょうか?歌う喜びをまた、増幅させられました。ありがとう!
ただたけだけコンサート vol.1 in 京都 [邦人合唱曲選集]
2009年1月31日、京都の長岡京記念文化会館で開催されたコンサートライヴ。多田武彦氏の『柳河風俗詩』『中勘助の詩から』『わがふるき日のうた』アンコール「雨」という曲群が収録してあります。ライヴですから2か所咳払いも聞こえますが、演奏上の傷はなく、最上ともいえる「ただたけ」をCDで聴けたのは幸せでした。
「なにわコラリアーズ」は、伊東恵司氏の指揮の元、全日本合唱コンクールで10年連続金賞受賞しています。このライヴの素晴らしさは聴く前から想像していましたが、理想郷ともいえる「ただたけ」でした。声がとても充実していますし、繊細な表現もまた卓越していました。全曲とも柔らかい発声、レガート唱法で慈しむように歌い上げています。パートの音色が明確に歌い分けられており、見事なまでにトーンが揃っており表現が多彩でした。
多田氏が24歳の時に作曲した『柳河風俗詩』は、氏の作風とエッセンスがその4曲全てに表れており、ノスタルジックで悲しげで、日本情緒もたっぷりと含まれています。北原白秋が古里「柳河」に対して、郷愁たっぷりに描いた一連の詩がとても親しみやすく、白秋特有の不思議な世界をくっきりと浮かび上がらせています。
『中勘助の詩から』も愛すべき作品です。中勘助の温かい視線が全編に感じられ、哀愁のある「ふり売り」、「追羽根」の江戸情緒は聞きどころです。ヴェルベットのような肌触りのハーモニーを聴き取れました。
「雨」は、八木重吉の簡潔な詩にとても美しいメロディとハーモニーを充てています。男声合唱の真髄とも言えるハモリを体感できる曲なのは間違いありません。
伊東氏による見開きの解説も演奏同様、素晴らしいものでした。参考になります。感謝。
君たちはどう生きるか (岩波文庫)
中学2年生の「コペル君」が、学校の友人や「叔父さん」とのふれあいの中で一歩一歩成長していく物語である。親しみやすい文体にこめられた内容は密度の濃いものだ。認識の主観性と客観性、人間同士のネットワーク的つながり、貧しい友人との関係、ナポレオンと歴史における偉大さの意味、過ちと苦悩からの昇華、そして自己の人生に対する決意。これらのことがコペル君の身近で起こる現象と密接に絡み合いながら、叔父さんのノートという形で提示される。
コペル君の経験はかなり普遍性があるがゆえに、読み進むにつれて身につまされてしまう。人間に関する基本的な問題を著者は直視しているからだ。そのゆえにこそ本書は心を打つ。
銀の匙 (岩波文庫)
こわれた引き出しの中で忘れられていた銀の匙。それを見つけたとき、
母はその由来を語ってくれた・・・。少年の日の思い出を瑞々しく
描いた作品。
幼い頃病弱であった「私」は伯母に育てられた。銀の匙は、伯母が
「私」に薬を飲ませるときに使ったものだった。「私」に対する伯母の
限りない愛情、「私」の少年時代、当時の日常生活や学校の様子、
子供の遊び、その他のさまざまなエピソード、そのどれもが生き生きと
描かれていて、読んでいるとその光景が目に浮かぶようだった。明治
から大正にかけて書かれた作品なのだが、どこか私が幼い頃を過ごした
昭和30年代に通じるものがあり、郷愁を感じた。やわらかく心地よい
文章と独特の感性で描かれたこの作品が、今なお多くの読者に支持されて
いるのも分かるような気がした。
奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち
エチ先生の「銀の匙」の授業を受けてみたい。幸運にも奇跡の教室を体験されたわずか1000名の方々が羨ましい。というのが本書の素直な読後感である。戦前にとある神戸の私立学校に赴任して(後日、東大合格日本一になる灘校)、一教科一担任の6年間繰り上がり制というシステムの中で、中勘助の「銀の匙」の文庫本1冊だけを使って授業をすることを決意するエチ先生こと橋本武先生。そして、エチ先生の奇跡の教室を体験した「銀の匙」の子供達(東京大学総長など)がこの本の主人公である。エチ先生の授業は「銀の匙」をゆっくりと読みこなしながら、古典、歴史などあらゆる脇道に大いに逸れながら、本物の学ぶ力と生きる力をつけてくれる。洪水のような情報が瞬く間に流れていく現代社会では想像を絶する「スロー・リーディング」授業であろうが、すぐに役立つことは、すぐ役立たなくなるものであるとするエチ先生。大学受験、いや中学受験が当たり前になりつつある現代は、受験テクニックや知識の詰め込みが中心になりがちであるが、長い人生を考えれば横道に逸れるエチ先生流の授業こそが身になり血になるものであると考えさせられる。実際にエチ先生の授業を受けることはもはや叶わぬ夢であろうが、先生が使用されたガリ版刷のプリントを是非拝見したいものだ。それに「銀の匙」を読んでみよう。