マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)
先哲の知恵の中から、レビューア自身の理解と解釈により再構成したものを、一つご紹介いたします。本書に出会うための一つのきっかけにしていただけたらと思います。
【「良い人」だと思われること。しかし、場合によっては実力行使できるだけの力を持て。】
あなたは、他の人から「良い人」であると思われたいことであろう。そのためには良い性格で、思いやりに満ちており、信義を重んじて公明正大であると評価されていることが大切である。
ただし、勘違いしないこと。実際にそうであるかどうかは別として、そう思われているという事実が必要なのだ。そして、もしこのような徳を捨てなければならない場合には、まったく反対のこともできるような能力を備えていなければならない。どうしてか。
あなたが、どんなに良いことを行おうと、どんなに理想に燃えていようとも、現実には善い人ばかりとは限らないからだ。悪賢い人もいれば、力で強引にやろうとする人もいる。
このような現実の中で、あなたが自分の理想を実現しようと思えば、それに対抗できるだけの実力を、あなた自身も持たなければならない。悪賢い人の罠を見抜くにはキツネでなくてはならず、オオカミを追い散らすにはライオンにもなれなければならないのだ。
現実をありのまま見て、その本当の姿を知ること。そして、必要なら実力行使すること。
(ニッコロ・マキアヴェッリ(1469-1527))
十字軍物語〈3〉
みんなが全ての作品に目を通すわけでは無いので、詳しくは別の作品でというのは、あまりに不親切だ。
やはりその作品の中での説明が必要では無いのだろうか?
十字軍の栄光と没落を知るには絶好の作品だけにそこだけが残念だった。
ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)
西ローマ最後の時系列的流れはなかなか知る機会がないので、
単に知識欲だけで読むにしても為になる第42巻。
ローマは誰にも気付かれないように滅んでいたというのが泣かせる。巨大な
帝国がゆっくり時間をかけて蛮族の海の中に溶解していくというのは
長篠移行の戦国の武田氏のようなはかなさ、それが故の哀愁を感じる。
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
私はこの本をハードカバー版と文庫本番の両方を持っている。両者の違いは何か。分冊になっている、本の体裁が違う点はもちろん、1番大きな違いは、文庫本版でだけ読める、その冒頭の、感動的な「『ローマ人の物語』の文庫本化に際しての、著者から読者にあてた長い手紙」という小文の存在であろう。私が知らなかった文庫本という形式の出版の歴史そのものから説き始めて、文庫本化に望む作者としての矜持を示してくれる。この小文を読めるだけでも、この文庫本版ローマ人の物語(1)は買う価値があると思う。
本文の内容については、既に多くのReviewerが書いている通り、すばらしいものであり、まさに巻を置くことあたわずの境地に多くの人を引き込んでくれるものと確信するが、ここではこれから「ローマ人の物語」を読み始める人のために、「『ローマ人の物語』の文庫本化に際しての、著者から読書にあてた長い手紙」の存在を指摘させていただいた。
ピエタ
舞台はヴェネチア。
バロック音楽の最高峰といわれたヴィヴァルディ(1678〜1741)は、
もともとからだが弱く、ヴァイオリニストの父が、彼の音楽の才能を生かすべく、
安定した司祭の仕事とピエタという慈善院(女子の孤児院)の
音楽教師の職を用意したといわれています。
しかし、音楽のとりこであり、才能に満ち溢れた彼にとって、
司祭としてまじめに働くのは難しく、
一方、「I’estro armonico」=バイオリン協奏曲集「調和の幻想」など、
ピエタの生徒のために作曲された作品の評価は高く、数多く、
指導された、ピエタの生徒による合奏団の名声は、
ヨーロッパ中に響き渡ったそうです。
本書は、史実を元に紡がれた長編YAです。
当時のヴェネチア社会事情・風景を背景にして、
慈善院ピエタに係わる人々を横軸に、
ヴィヴァルディの音楽の才能・素顔を縦軸に描かれた、
小さな発見と人の暖かさに幾たびも出会える作品です。
物語は、ヴィヴァルディの音楽人気に翳りの見えた1941年(63歳)、
彼が、ヴェネチアを離れオーストリア・ウィーンで
客死したところから始まります。
饒舌な筆が寡黙になってしまう箇所に時々出会いましたが、
ともかく、至福の時間を過ごすことができ、
読後しばらく余韻に浸っております。
余談ではありますが、
『どろぼうの神さま』しかり、本書しかり、
ヴェネチアは物語の舞台としても魅力たっぷり。