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村山知義 ウィキペディア

村山知義 最新動画

ダンスDEニャンニャン
ダンスDEニャンニャン
 旧来の盆踊り的なアニメの振りつきソングとは違い,アップテンポで,歌詞の言葉遊び的な部分(詩もなんともいえず好い感じ)とあわせて心地よく耳に残る,うきうきさせてくれる曲です。1才半の子供は何度聞いても大喜びで体を動かしながら片言で歌っています。




怪物パラ☆ダイス
怪物パラ☆ダイス
本当はCDのタイトルは「ランデヴー」なんですが・・・まあいいか。

「桃鉄」や「ジャンプ放送局」やらでおなじみ、さくまあきら氏のゲーム製作10周年記念作品。それが「怪物パラ☆ダイス(もんすたーぱらだいす)」です(ゲームのレビューも書きたい!)。それの主題歌(本当はゲーム中では使われな・・・ごにょごにょ)。

歌っているパープルウォームとは、「ミスJBSコンテスト」でも常連だった、「あの」パープルウォームさんです。どーしてこうなったかは、本のコーナーで「チョコバナナ」と検索してチェキしてね。具体的にゆーと11巻あたり。

8センチCDのくせに3曲もサウンドトラック入れてます。無茶しすぎです。
肝心の歌自体もすごくユニーク。

自称さくま通でこのCDを持ってないのは、「モグリ」と判断されても仕方がないとかなんとか。




続・忍びの者
続・忍びの者
忍びの者 より続・忍びの者のほうがましかな?




しんせつなともだち (こどものとも傑作集)
しんせつなともだち (こどものとも傑作集)
 本書刊行の事情について何も知らないままに言うのだが、この絵本には不思議なところがある。だって翻訳絵本と言えば普通は絵も原著のものを使うでしょう?
 Web上で私が調べた限りでは、原著は1965年に中国で出版された“A Returned Turnip”だそうだが、本書の初版が刊行されたのも1965年4月(本書の書誌データに出版年1987年とあるのは、再刊)で、ほぼ同時。原著に絵はあったのか? なぜタイトルが英語なのか?
 作者のファン・イーチュンは1914年に蘇州で生まれ、元は中国の少年児童出版社の編集者だったらしい。そして朝鮮戦争時の野戦病院での実話(傷病兵たちがリンゴを譲り合った)をヒントにこの物語を書いたという説がある一方、中国の民話の再話という説があり、物語内容から見て民話説も捨てがたい。しかもポール・フランソワ『ゆきのひのおくりもの』という、本書とほぼ同一内容の絵本(邦訳あり)があって、絵まで似ているようだ。
 で、その絵だが、村山知義の作画。この人は1901年生まれ。東大中退後、1922年からベルリン遊学。帰国後は表現主義美術運動の紹介者となる一方、プロレタリア文学運動に参加し、1930年に治安維持法で逮捕。戦後は主に演劇界を活躍の場としたようだが、絵本なども含む多くの絵画作品を残している。
 そういうわけで、本書には思想的背景の存在が濃厚に感じられる。ただし思想で割り切るには、村山の絵はあまりに魅力的。本書の魅力の大半が、絵の力によるのは確かだと思う。






こんな 村山知義 の夢を見た!


インストゥルメンタル/ポスト・ロック/エレクトロニカ/ポスト・ハードコア界を代表する 村山知義にとって7作目のDVDで、1月にグアムで撮影。
「“おまえなんか見たくないよ”って感じだったけど。でも今はみんなバンドに戻りたいって思っているよ」と語り、充電期間も終わって意欲的になっているようだ。

これからもますますの活躍が楽しみですね(^^ゞ

『 人生はどうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、そのなかでできるだけいい役を演じたいの。 』( 寺山修治 )

なんだか納得。

村山知義 と 村山籌子(むらやまかずこ)
ギャラリーTOMの TOMは村山知義の とも村山知義の童画集があったので買い求めた。 写真は、村山知義と 妻の村山籌子妻の籌子(かずこ)は旧姓岡内 。 高松出身の童話作家、夫の知義が絵を描いていた。 昭和初期の絵とはいえとてもモダンな詩と絵に ...

戦国時代を舞台にした歴史小説 第弐話 101-150
3忍びの者―忍び砦のたたかい (光文社時代小説文庫) 村山 知義; 4忍びの者―真田忍者群 (光文社時代小説文庫) 村山 知義; 5山手樹一郎長編時代小説全集 23 (23) 山手 樹一郎; 6素浪人 宮本武蔵〈10〉無常の篇 (光文社文庫―光文社時代小説文庫) 峰 隆一郎 ...

朝鮮に渡った村山知義
1945年3月東京大空襲の直前、執行猶予中の村山知義は京城に渡り9か月間滞在した。春香伝の朝鮮語のオペラや映画づくりの準備、満映での舞踊映画制作の準備をエネルギッシュに進め、敗戦のラジオ放送に思わず「万才!」と叫んだ。朝鮮での生活を気に入った ...

吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(上)
以前、このサイトでも村山知義が設計した三角美容院をご紹介しているけれど、その主である吉行あぐりClick!が大正末ごろ、上落合でバー「あざみ」を経営していた・・・という、うれしい情報だ。さっそく、手元の資料や図書館などでいろいろ調べてみる。 ...

村山知義のプロレタリア演劇論
1931年に発刊された「日本プロレタリア演劇論」の復刻本を読んだ。当時の実際の上演の様子も書かれている。検閲の結果五十数か所カット、やっと上演しても巡査が「中止!」と怒鳴ると即中止。治安維持法下の「暗い時代」をリアルに感じさせた。 ...

吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(下)
大正10年前後には、辻潤(実妹である津田光造・恒夫婦が住んでいた関係からか上落合503番地へ居住)をはじめ、あぐりに首ったけの尾形亀之助(上落合742番地)、村山知義(上落合186番地)、川路柳虹(上落合581番地)、林房雄(上落合215番地)、萩原 ...

村山知義 BooksDatabase2361
今日は村上浪六と村上たかしと村上康成と村上ゆみ子と村松梢風と村松友視と村野守美と村山功と村山早紀と臓

〔ギャラリーTOM〕などへ
村山知義氏の関係者の人なのか。澁澤龍彦と堀内誠一、二人の書簡・ハガキ・手紙が何通も展示してある。後、奥さんの書簡も。堀内誠一の書簡は絵本作家らしい色彩豊かな絵が描かれている。帰り際に村山知義氏に興味があると言うと『子供之友』『3びきのこ ...

村山知義は下落合に住んでいた。
村山知義と村山籌子夫妻は、月見岡八幡のすぐ南側(当時)、上落合186番地の三角アトリエClick!で暮らしていたことになっている。でも、1927年(昭和2)に発行された、「アサヒグラフ」3月9日号には、有名なふたりそろった上掲の写真が掲載されているのだ ...

ある書評と肉離れ
大学三年の時、村山知義の書いた舞台に病人役で出た話、編集者・三浦雅士が現れたのは、寺山修司が亡くなる前だった、とか。長い沈黙をはさみながらもテープは回っていった。 石神井さんに誘われ、帰りは山口さん家の近くの公園の木陰でよまやま話だ。 ...

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